2008年05月21日
信州牛の経歴2
今から二十五年以上前、信州では食肉の流通がまだ完全に整っておらず、父は小諸の家畜市場に牛を仕入れに月数回出かけていました。
当時私は東京の食肉加工会社に勤務していて、毎朝芝浦の食肉市場から保冷車で商品が各支店に配送されるのを、当たり前のように見ていたので「ずいぶん環境が違うな」と思った記憶があります。
しかし、それは過渡期であっただけで、物凄いスピードで地方の流通も整備されていたようです。
私が当店で働き始めた頃は、父は家畜市場にはほとんど行かなくて済むような状況でした。
ある日、父が久しぶりに家畜市場に出かけると言い出し、私も同行することになりました。
もともと当店は小さいながらも牧場と牛舎を所有していましたので、私にとって家畜は珍しくありません。しかし、市場は初めてだったので非常に興奮しました。
父は私に市場を見せたかったようです。
その後、地方の食肉流通の整備は加速されアッという間に私の知っている、都会並みの普通の配送システムになりました。
それと同時に食肉業界への参入者が一気に増加してきます。
父のおかげで生産から流通まで、すべて肌で感じることができた私はバイヤーとして、相当自信が持てるようになり、今日の当店の牛肉の品質に繋がっています。
画像はモモ肉の一部で関東ではトモ三角と呼びます。関西ではヒウチとかヒカワと呼んでいるようです。
父の好きな肉の部位で、大切に使っていました。味の良い締まった肉質が好みだったのでしょう。