信州で牛肉が大量に消費されるようになったのは、三十年前ぐらいだと記憶してます。
それまでは高品質な和牛は名古屋・京都・大阪へ出荷されていました。
私の父が若い頃、小諸などの家畜市場で近畿圏へ出荷している業者に競り負け、仕入れが出来ず悔しい思いをした話をよく私にしていました。
当時信州では地場消費の量が少なく、よって近畿圏の相場についていけない為、欲しい和牛を競り落とせなかったのは容易に想像がつきます。
もっと以前の話になりますが、私の祖父は新潟まで仕入れに行っていました。板倉という町に懇意にしている農家があり、牛2~3頭をつないで富倉峠を牛を追いながら飯山へ向かうという日程だったようです。
もちろん徒歩です。
途中、季節はずれの大雪に見舞われ「もはやこれまで」と覚悟を決めかけたとき、富倉の村の人に助けられたそうです。
その時頂いた熱燗の味が忘れられないと、懐かしそうに話していました。
ちなみに私の祖父は、お酒はあまり好きではなかったので、余程の状況だったのだと思います。
いずれにしても、先代・先々代ともに牛肉の商いで重要だったのはいかに集荷するかでした。
昭和五十年代になると、日本はあのバブルな時代を迎えます。
信州でも和牛の消費量が大幅に増え、高品質な信州牛が地元でも流通するようになりました。
畜産会社の営業マンが競ってセールスに訪れたのを思い出します。
また、この頃から牛肉の品質が次第に安定し始めたようです。
末端のバイヤーが品質を確認して選んで仕入れをするようになったので、生産者も飼料の改良など、たいへん努力をした時期です。
安定した品質の信州牛をお客様に提供できる現在、次に考えなければいけないことは、この品質をいかに維持するかだと思います。
ここ数年、世界の穀物・商品市場が私たちの知らない場面に遭遇しています。
畜産にとって飼料の急騰という逆風が吹き荒れている今、私に出来ることは地産地消のお手伝いを続ける以外ありません。